廉塾ならびに菅茶山旧宅

 菅茶山(1748〜1827)は神辺に生まれ、19才のとき京都にいき朱子学を学びました。郷里へ帰って塾を開き、これがのちに廉塾とよばれました。ここでは全国から常時20人くらいの塾生が学んでおり、頼山陽も塾頭をしていたこともありました。当時の講堂・寮舎・居宅が現存し、講堂の前には塾生が筆や硯を洗ったといわれる水路や、菜園・養魚池も往時の姿をとどめています。
国特別史跡


小さい時から本を読むことが好きだった菅茶山は、学問を学ぶためいろいろと旅をしていました。34歳で神辺に帰り、黄葉夕陽村舎という塾を開き、全国から生徒が集まりました。

廉塾のお庭です。
ここは公園にもなっていて、いつもきれいにお掃除されています。

神辺には、昔ながらの建物が多く、菅塾の前の家は、休憩所としても利用されています。もちろん、現在も人が住んでおられます。